被害者はチョコレート

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 暖冬の年はかえって大雪に見舞われることが多い。西川 守の下宿する日本のチベット――と言われる土地――も例外ではなく、昨夜降った雪によって朝方街は一面真っ白に染まっていた。二月も第一週が過ぎて、その日守は高校二年になる妹からのメールによって起こされた。布団から手を伸ばし、何とか頭を上げて携帯電話の小さな液晶画面を眺めると、妹からはただ一言「今年はお返ししてよね!」という言葉が送られてきていた。寝起きで頭の働かない守は、布団の中で何のことだ、と息を吐いた。すると室内だというのに息が白く、携帯の画面が曇ってしまった。守は緩慢な動作で曇った液晶画面を拭うと、改めて妹から送られたメールを見た。題名には「二月十四日」と記されていた。

 チョコレート戦争の日だ。

と寝ぼけた頭で守は考えた。さっと部屋の壁に掛けられたカレンダーを見ると、今年のバレンタインは今日と同じ月曜日。そして月曜日の自分の授業スケジュールを思い出し、ついでにもう一人のスケジュールまで思い出してから、ようやく守はほっと息をついたのだった。

 そんな朝を迎えた守は、雪の歩道を歩いてその日も真面目に大学へ向かった。小学校時代からこの手のイベントごとに一喜一憂する性格ではなかったので、妹には昔から「自分の稼いだ金で買わない限り、チョコレートのお返しは期待するな」と言ってあった。その妹も高校へ入ってアルバイトを始めたらしく、今年はその給料からチョコレートをくれるらしい。お返しに何を要求されるか考えると、守は寒さとは関係なく身震いしたくなるのだ。

 守は一時限目に入っていた講義を受けつつ、上の空でチョコレート戦争の日についての思い出を拾っていた。守とて、もらえる義理チョコを拒否するほどその日にチョコレートをもらえていたわけではない。いただけるというものなら喜んでいただいていた。ただ妹や母が期待するほど、そのチョコレートに特別な感情が付加されていたわけでもないのだ。おそらく守が短いこれまでの人生の中で、義理チョコ以外のチョコレートをもらったことはないのだろう。義理か本命か、それともただの被害者か、というチョコレートを獲得したことはあったのだが。

「西川!」

 ぼんやりしている間に講義は終わっていて、白髪頭の老教授は早々に教室を出て行ってしまっていた。守は教室の前の席に座っていたので、背後からの声に振り向いた。

「よぉ、二重作。久しぶりだな」

 守に呼びかけたのは同じ人文学科の学生で、同じクラスの――大学に入れば同じクラスという繋がりは極々薄いものだったが――二重作 志郎(ふたえさく しろう)だった。ほぼ同じ授業を取っているにも関わらず、年末から年始にかけて顔を見かけなかったよくいる普通の大学生だ。

「ちょっと実家に帰ってたからな。お前、さっきの田村の授業出た?」

 教室にいるのだからそれくらい分かるだろう、と守は思った。それに、そんなことを訊いてくるということは、二重作は講義が終わってからこの教室に入ってきたということだろうか。それなら用件もすぐに判明する。

「出たよ。ノートか?」
「へへっ、頼む。今度学食奢るからさ」

 二重作は憎めない顔で笑うと、両手を合わせて守を拝んだ。

「学食ってとこがシケてるよなぁ。まぁ、いいか。ほら」

 学食であっても、見返りが来るだけ神様よりはましな待遇だ、と守は判断した。今日の分のノートがきちんと取れている自信はないが、どうせ二重作は写しても読み返したりはしないだろう。学食で買えるお守りのようなものなのだから。

「わぉ! 恩にきるぜ。そういえば、西川。今日ミス研の彼、ほら、あの変な奴」

 ちなみにミス研の“彼”であって、しかも“変な奴”と言われる男は一人ではない。ミス研に所属している“彼”はそのほぼ全員が“変な奴”だからだ。しかし守に言ってくるのだから、その“彼”を一人に絞ることは難しいことではない。

「真壁?」

 一日にその名前を口にしなくて良い日があるのなら、是非口にしたくないという名前を守がしぶしぶ口にすると、二重作は喉のつっかえがとれたような晴れやかな顔をして言った。

「そう、そいつに会った?」
「いや、今日はまだ」

 まだというよりも、今日はもう会うつもりがないのだ。だが、それを二重作に訴えたところで何にもならない。確かに、一度は誰かに大声で訴えてみたいことではあるのだが、守にはその被害者として特に親しいとも言えない二重作を選ぶことはできなかった。二重作は守の中で自分が被害者リストから外されたことも知らずに、無邪気に自分の話を続けた。

「何かさ、サークル棟の裏に集まってたぜ。雪が積もっただろ? 足跡つけるなって通行人に叫んでた」

 その話を聞いただけで、守の頭には通行人に向かって指を突きつけて叫んでいる直人の姿が浮かんだ。尊大な態度、その口調までありありと。

「……教えてくれてありがとう。サークル棟は避けて帰ることにする」

 念入りに大学を裏から回って出て行くようにしよう、と守は思った。しかも早急に。守が慌てて荷物を鞄に詰め込み始めると、事情を知らない二重作が不思議そうに問いかけてくる。

「お前ら、仲良いんじゃあないの?」

 守は直人と自分の関係が周囲にそう誤解されていることを知っていた。けれど、直接そう問いかけられて、訂正するのが面倒だからという理由で曖昧な答えを返すことはできなかった。

「仲が良いと言うと語弊がある」

 何せ本人だって仲が良いのか悪いのか、実は運が悪いだけなのか、それがはっきりとしないのだから。守の答えに二重作は首を傾げる。

「そうなのか? でも……避けて帰ってもムダかも」

 守も丁度そんな予感がし始めた頃合だった。

「守! 授業終わったな? やぁ、霞田君じゃあないか」

 無駄に体から元気を発散させ、教室に飛び込んできたのは噂の“彼”、真壁 直人だった。直人は教室に入るなり、守の服をガシッと掴んで、その勢いそのままで二重作に呼びかけた。ちなみに直人と二重作が会った回数は、守の知っている範囲で三度以上にはならない。

「え? いや、二重作だけど……」

 自分で“変な奴”と評した直人に、違う名前で呼びかけられた二重作は当然困惑している。直人は名前を間違えて呼んだことに対して、少しも悪びれなく、ただちょっとだけ考えてから守の肩をポンと叩いた。

「ん? あぁ、じゃあ名前の方だな。志郎君だ」

 確かにそれなら合っている。二重作は何故自分の苗字が霞田になったのか、ということを疑問に感じているようだが、とりあえず名前の方は合っているので頷いた。

「あ、うん。そう、そっちの方」

 そのやりとりに守は思わず頭を押さえた。

「直人! 人を探偵の名前と結び付けて覚えるのは止めろ!」

 丁度授業の空き時間にミス研にある小説を読んでいたので分かる。霞田 志郎というのは小説に出てくる探偵の名前なのだ。

「結び付けたほうが覚え易い。イイクニ作ろうとか、な?」
「あ、うん。そうだな」
「流されるな、二重作。……とにかく、俺はまだ授業があるから……」

 そう言って守は服を掴んでいる直人の手をはがし、鞄を持って立ち上がった。しかし直人の手は右が離れるとすぐに左が伸びてきて、再び守のコートの袖を掴んだのだ。

「いいや、ない。お前の日々のスケジュールを把握していない俺ではない。今日は店が臨時休業でバイトもないはずだ」

 ちなみに守だって直人の授業スケジュールくらいは――身の安全を図るために――把握しているのだが。何故か直人は昨日連絡が入ったばかりだという、守のバイト先の臨時休業を知っているのだ。携帯電話に盗聴機能でも付けられているのだろうか。

「……雪が降って寒いし、今日は大人しく帰る」

 俺は寒さに弱いのだ、と心の中で繰り返しつつ、守はなおも直人から逃げようとする。しかし直人は服をしっかり掴んで離さない。

「勝ち逃げは許さないぞ、守。今年こそ俺が先に謎を解いて被害者を見つける!」
「見つければ良いだろ! 俺は帰る!」
「駄目だ。ミス研部員でもないお前に負けっぱなしでは、メンバーの面子が丸ごとぐっしゃり潰れまくりだ! 正々堂々勝負しろ!」

 一度負けた時点で面子なんて潰れてぐしゃぐしゃだろうが、と言いかけて守はぐっとこらえた。ここで直人を怒らせればますます帰れなくなってしまう。

「何で今日なんだ。まだ十四日じゃあないだろ! それにお前は今日、一限から四限まで授業だろうが!」

 守の真面目な学生発言を聞くと、直人は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「仕方がないだろう。平野が雪を使った足跡トリックを思いついたから、雪が解ける前にやるって言うんだからな。講義なんて受けている場合じゃあない」

 受けろよ、そこは学生として。

「……えっと、ちなみに被害者って……?」

 それまで黙って事体を見守っていた――というか口を挟むこともできなかった――二重作が、控えめに手を肩まで挙げて、たまらなくなったように質問した。直人はそれに反応してこう答えた。自分に関係する――いや、ミステリに関係する――話題には食いつきの良い男なのだ。

「四角いボディに赤い服を着て、緑のリボンを金のシールで留めた電子辞書サイズの甘い奴だ。まぁ、平野からだと考えると捜す気が萎えるが。肝心なのは謎解きだからな」

 自己陶酔気味に直人の言った、肝心なのは云々の部分を二重作が聞いていたとはとても思えない。けれど医学部の才女平野の名前が出たことに、二重作は敏感に反応した。

「平野って医学部の才女だよな。彼女からのチョコレートがもらえるのか? 良く分かんないけど、俺も参加させてくれない?」
「おい、二重作!」

 もらえる、のではない。彼女からのチョコレートは獲得しなくてはいけないのだ、と守が言う暇は与えられなかった。言ったとしても、二重作は引き下がらなかっただろう。

「構わないぞ。勝つのは俺だからな」

 どこか得意げにそう言うと、直人は守を連れて行くことを忘れてさっさと二重作と一緒に教室から出て行く。残された守は鞄を見つめて考える。

 実のところ、守が獲得した義理か本命かそれともただの被害者か、というチョコレートは去年の冬に直人に連れられて参加したミス研の推理大会で得たものだった。推理大会のお題を出題したのは平野で、他のミス研部員とイレギュラーで参加した守がその謎を解いて被害者を救出するというものだったのだ。被害者は時期に合わせてバレンタイン・チョコレート。しかも平野の手作りだった。

他のミス研部員は謎を解くことこそがメインだったが、ミス研部員ではない守は、義理でも被害者でも構わないから平野からのチョコレートを食べてみたかったのだ。他のメンバーほど気負いがなかったせいか、守は平野の出題した問いの答えが頭にひらめいた。まぐれだ偶然だと思いつつ、平野に謎の答えを披露した後。

 彼女は滅多に見せない嬉しそうな顔をして微笑むと、立方体の箱に入った被害者を守に手渡してくれたのだ。

彼女が、守が謎を解くことを期待していたとか、今年も守を待っているとか、そんなこと本気で考えはしなかった。それに今年も謎を一番に解けるとは限らない。何と言っても相手にするのはいずれも個性派ぞろいのミス研部員――今年はプラス二重作――。けれどもしも、もしも平野から今年もチョコレートを受け取れるのなら。

「………………待て! 俺も行く!」

 そして白銀世界に散りばめられた足跡の謎を解き、被害者の四角い電子辞書サイズの甘い奴に込められた気持ちが少しでも分かれば、守も一流の探偵ではないだろうか。


 バレンタインで大忙しなのは女の子だけではない。
 イベントものだと目を輝かせてネタを探す推理作家――の卵――も、
 何の因果かチョコレートを獲得するハメになった、恋する男子だって忙しい。

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